小学校から高等学校まで普通学校に在籍。小学校中学年から他児童と運動能力の差が顕著になり、小学校5年生の時のクラブ活動で文科系 クラブを希望しましたが定員オーバーで入れず、友人に誘われた卓球クラブに入り偶然卓球に出会いました。

 

ボールの回転やコース取り等で健常者とも対等にプレーできることに魅力を感じて中学校でも卓球部に所属中体連や各大会で入賞した時に全校集会で表彰され、それを我がこと ように喜んでくれた友人や、運動が苦手だけど、私が卓球に打ち込む姿をみて運動部に入った!と言ってくれた友人の存在で、障害を持っている自分がスポーツをすること 価値や意義を見出しました。


それが今でもプレーを続けている一因にもなっており、障がい者の自分が頑張ることによって、人に良い影響を与えることができると信じています。

そして障害を持った若い子たちへの希望となり道しるべになるべく、使命感を持ち卓球に向き合っているます。 パラリンピックで金メダルを取ることも、その過程を見て頂いた人々 心にが響くもがあれ と思っています。

 

高校卒業後、パラリンピック出場には自費での海外遠征が必要という現実を知り、努力の意味を見出せずに 一度 卓球から遠ざかりましたが、「海外を一度でいいから見てこい。世界観が変わるから」 という障がい者卓球クラブ 先輩 言葉で卓球を再開しました。
 

2007年 香港大会へ初出場しました。そこで下肢障害、利き腕に棒を付けラケットをそれにくくり付けプレーするドイツ 選手を見て 私より重度な障害を持った選手が戦う姿に衝撃を受け、それまで 悲観的な考えを一新し
パラリンピックを目指すようになりました。

 

2010年まで働きながら海外大会派遣選考基準をクリアし、国際大会に出場、2010年コスタリカ大会で シングルス・団体戦ともに優勝し、「世界でも勝てる」 という実感と同時に、今のままの練習量ではパラリンピック出場枠である世界ランキング15位 以内を確保することは、容易ではないと実感しました。

家族の理解と応援もあり会社を退職して練習環境が整った福岡大学への入学を決断、福岡大学卓球部に所属しパラリンピックに向け練習に励み、数々 国際大会で入賞、世界ランキング上位選手にも勝利する等、確かな手応をつかみつつ ランキングを順調に上げましたが、後一歩でリオに 届きませんでした。
 

卓球との出会い、プレーに込めた念い、使命として捉えるパラリンピック金メダル

「今まで支えていただいた皆様へ感謝 」  と  「 障がい者アスリートが日本を元気にする 」 という信念を胸に

2020年東京パラリンピック金メダル獲得を目標に、日々新たに挑戦して参ります。 是非応援の程よろしくお願いいたします!